パット・メセニーからの批判に対するKenny Gの反応

先日パット・メセニーが本気で怒ったあの事件を振り返るという記事を書いたのですが、では批判されたKenny Gはどんな反応を見せたのかを紹介してみたいと思います。このサイトの”Kenny G likes Kenny G just fine”というインタビュー(「Kenny Gは自分が好き」)で彼は次のように答えています。

全く影響なかったよ。(パットの批判は)最初、冗談だと思ったんだ。ああいうミュージシャンが大っぴらに他人についてああいうことを言ってしまうことにぼくは失望した。ああいうのは一流の(classy)人間がやることではないよ。彼がああいう方向に行ってしまったことには失望した、でもぼくには無意味だったね。ぼくは自分がやることをやるし、自分でそれを気に入ればもう十分満足なんだ。言わせてもらうと、あのアレンジ(=ルイ・アームストロングとの仮想共演)が嫌いだっていう意見は誰からも聞いたことがない。みんな、あれは僕がやったものの中で気に入ったものの一つだって言ってくれるよ。

このようにKenny Gは「何故自分がこんな目に合うのかわからない。自分は好きなようにやっているだけで、みんなも僕の音楽を気に入っているんだからいいじゃないか」という感じの口調です。彼が本心でそのように語っているとするなら「悪気のない人ほど脅威である」と思ったりしました。

こうした感じの「悪気のない人」は日常生活でもよく遭遇します。例えるなら会社だってそうです。何か非常に繊細なコミュニケーションが必要な機微情報があり、その扱いにみんな苦心しているとします。なんとか頑張って正確に伝えようとする。

そこに突然その「複雑で微妙なもの」を、三語くらいでサクッと乱暴に説明してしまうイケメンが現れたとします。「要するにこういうことでしょ」と。すると、みんな感動します。わかりやすい!美しい!シンプルイズベスト!あっちの難しい話をする人たち要らない!素敵、抱いて!みたいな感じになってしまいます。

でも、この「悪気のない人」がどこからその「三語くらいのまとめ」を導き出すことができたか。Kenny Gで言えば、ロングトーンと速いパッセージの組み合わせでできた「俺の十八番リック」を、どこから導き出すことができたか。それはやはりジャズというジャンルだったのではないでしょうか。Kenny Gの成功は先駆者の苦心の上に成立しているのです。

悪気のないKenny Gさんは、モテモテです。彼のファンには、Kenny Gはジャズではない別の音楽だ、そして悪くないと自分は思う、という人もいるでしょう。同時に一部のファンはこう思いはじめるのです。これが私が好きなシンプルなジャズだ、と。小難しいジャズはもう要らない。ケニーが三語にまとめてくれたジャズがあればいい、と。

そしてその「Kenny Gのファンの一部」は世界中で百万人単位でいたりするのかもしれない。すると世の中では元々のジャズがネガティブなものとして受容されかねない。Kenny Gが自分の音楽を取り出したのは、その中からだったのに、ケニーが売れれば売れるほど人々はオリジナルのジャズから離れていく。というのがメセニーの苛立ちと危機感であったような気がします。

そしてネタ切れになったらポール・デスモンドのソロを何コーラスか完全コピーした演奏を録音したりする。「何が問題なんだい、美しいじゃないか、それにみんなぼくの音楽が好きだって言ってるよ!わかりやすいって好評だよ!」

これは何というか、NAVERまとめみたいなものに思えます。いろいろなウェブサイトやブログをまとめた「NAVERまとめ」というサイトがありますよね。あれは便利だとしても、まとめ元のオリジナル記事なんか見に行く人はほとんどいません。でもそのオリジナルがなければまとめ自体が存在できないのです。

Kenny Gはひょっとしたら、メセニーにとって憎きまとめ職人だったのかもしれません。自分がその中から出てきたジャンルに対してレスペクトを持っているのなら、やってはいけないことがあるだろう、というのが当時のメセニーの怒りの根底にあったのではないでしょうか。さらに二人は髪型も似ていたのでメセニー先生はさらに面白くなかったのかもしれません…(自分自身、そして自分を含むジャズと呼ばれるジャンルのほうが価値が低いと思われるのが嫌でたまらなかったのではないでしょうか)。





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