敬称の悩ましさ

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こういうブログをずっと書いていると改めて疑問に思うことや自分の態度を決めなくてはならないことが次々と出てくるのですが、「敬称」をどうするかというのもその一つです。

例えばこのブログで「パット・メセニーは…」と書くことはあっても「パット・メセニーさんは…」と書くことはまずありません。一方、日本国内のミュージシャンについては「小沼ようすけさんは…」と書いたり「小沼氏は…」と書くことが多いです。「小沼ようすけは…」と敬称なしで書くと、呼び捨てみたいでちょっと躊躇われるのが正直なところ。

「さん付け」表現は、丁寧に響きはするのですが、私自身としては「その人と私がリアルで交流したことがあるか、知人・友人関係である場合にふさわしい」ものです(あくまで私の場合ですよ)。だからこのブログで「パット・メセニーは…」と書けても、「パット・メセニーさんは…」とは特殊な効果を意図している場合を除いて、書きにくい。

ところがこのマイルール、適用が厳格でなかったりします。日本人ミュージシャンに言及する時、頻繁に崩壊します。例えば、私は小沼ようすけさんとじっくりお話をしたこともなければ、一緒にサーフィンをする仲でもありません。そのためマイルールを適用するなら、文章では「小沼ようすけは…」と書くべきなのです。

が、実際に「このライブでの小沼の演奏は本当に素晴らしく…」などと書くととっても偉そうに見えるわけです。これがJazz JapanとかJazz Lifeのような権威ある雑誌のライブレポートなら問題ない表現だったりするのですが、海の物とも山の物ともつかないこういう個人ブログでそういう風に書くと自分でも違和感を覚える時があります。

そこでマイ折衷案として「氏」という新しい表現が登場したりします。「小沼氏は…」という表現がそれです。これは「さん」を付けないことによって自分の中に発生する違和感や、読者の方の心の中にも発生しうる違和感を回避すべく、私の無意識が編み出した暫定的ソリューションでございます。

あまりに強い共感を覚えたり、親近感が強くなると、知り合いでなくても、どうしても「さん」と書いてしまうこともあります。これは普通のファン心理として自分でも自分を大目に見たい(笑)。敬称に関するマイルールの適用はかなり弾力的なものです。

こういう問題は外国語、例えば英語でのコミュニケーションではほとんど発生しません。基本的に悩む必要がありません。こういう悩みは日本語に特有のものでしょう。

他にも尊敬語とか謙譲語とか儒教の影響とか上下関係とかそういう話も書きたくなりましたが際限がないのでこのあたりで。こういうふうに物事を考えるのは、より自由に、そしてより正確に誰かにメッセージを伝えるための訓練に近いものがあり、その点、楽器の練習に近いところもあります。

ここでこの音はどうかな。ここではいい感じ。でもここだとうまく響かない。じゃあこの音はどうだ!みたいな。

ただ、いつでも通用する万能のルールみたいなものはなさそうです。

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