ビル・フリゼールのアドリブ論

ビル・フリゼールのアドリブについての考え方は、過去にもこのブログで触れたと思うのですが、何度考えても至極真っ当だなと思います。2009年のGuitar Playerとのインタビューで彼は次のように語っています。

Q: 核となるメロディからソロを発展させることについてどう考えていますか。テーマを掘り下げながら、どんなことをやっているのでしょうか。

A: 僕は既にそこにあるものから始めるんだ、そしてすぐにそれを変えようとはしない。僕はソングの形式やメロディを、何度も何度も、自分の奥深くに入るまでくり返し弾くことで吸収するんだ、すると僕はオリジナルのメロディを聴きながら、そこから逸脱していくことができるんだ。あと、それは逸脱していくという感じでもないんだ、曲自体が勝手にいろいろなリハーモナイゼーションの可能性を示してくれるような感じなんだ。あと他のキーに移調したりもする、というのも他のキーで練習すると多くの場合、オリジナルのキーに持って帰れる何かを学ぶことができるんだ。例えば、EやAで何かを演奏したら、それをBbでやってみる。するとそれまで考えずに済んだことと取り組む必要が出て来る。その後にオープンキーに戻ってくると違う視点が得られたりする。

2-5ではこういうフレーズが使えますとか、トニックで使えるフレーズにはこういうものがありますとか、そういう考え方には私自身大変お世話になってきたし、それはそれで特定の意義があることだとは思っています。とはいえ、テーマを演奏して、その次の第1コーラスで自分はどんな「アドリブ」を演奏するか。そうした「教則本たち」には、その答えがまったくなかったのも事実です。

どんなスタンダード曲でも良いのですが、その曲のメロディを発展的に拡張するような弾き方ができるようになりたいと思って練習してきました。メロディの音を必ず入れた8分音符だけの無窮動的な練習をするとか。そのやりかたは間違っていなかったのだろう、とビル・フリゼールの音楽を聴くたびに思います。

自分はフレーズを知らないとか、変わったことができないとか、思いがけないことができないとか、そういう悩みは本当に馬鹿らしい、と、ビル・フリゼールを聴くたびに思います。

全部そこにあるじゃないか、と。

既にそこにあるメロディを、ちょっと気恥ずかしい言葉だけれども、慈しみつつ、これいいな〜と愛でつつ、何度となく弾いてれば、それで十分いい音楽になるんじゃないか。

I begin with what’s already there.

僕はすでに与えられているものから始めるんだ。

むかし「2-5-1で何でもいいから何か弾いてみて」とか「FMaj7で何でもいい何か弾いてみて」と習っていた先生に言われて、何も弾けなかったことがあります。私はゼロからはじめられませんでした。何の曲の2-5-1、何の曲のトニックかわからないと何も弾けなかった。今はできる。でも当時の自分は、特に間違っていたわけでもないんじゃないのかな、と今になって思います。