日野皓正さんのこと、またはプロメテウスの火について

時々、誰ひとりとして得をしない事態というものが発生します。先日、日野皓正氏が指導するジャズのビッグ・バンドでドラムス担当の中学生が、関係者全員の暗黙の合意を破って長いソロを・パートを叩いた。それに激昂した日野氏が彼を諭し、スティックを取り上げ、それでも演奏をやめなかった中学生を平手打ちするという出来事がありました。

その中学生は、その出来事から何を得たのだろう。彼の将来に利する何らかの教訓を得ることはできたのだろうか。ビッグ・バンドの他のメンバー達は、何かを得られただろうか。日野氏は、そして観客は何を得たのだろう。そこにいなかった私にはわからないし、この出来事の関係者が何を得て、何を失ったのかは、たぶんすぐにはわからないでしょう。

とはいえ大変に悲しい出来事です。私にとって、「人の死」の次くらいに悲しい出来事が3つほどあります。まず、作ったばかりの料理をテーブルに運ぶ途中に、手を滑らしたりして床にぶちまけてしまうこと。次に、楽しく一日遊んだ日の終わりに、一緒に遊んだ人(々)と仲違いをして別れてしまうこと。そして、楽しい食事中に口論してしまうこと。

そういう経験から何か前向きなものを得られることは、まずありません。何か失って終わるだけの、誰得な事態です。こんなに悲しいことはないのですが、何のいたずらか、全てが取り返しようもなくぶち壊されるこういう事態は、人智を超えたところで用意されたかのように、何の前触れもなく襲いかかってくることがあります。地震とか津波みたいなもんです。

日野皓正氏の”Jazz For Kids”を観に来ていた人々も同じくらい悲しい思いをしたのではないでしょうか。頑張ってつくった料理を、さあ食べようと思って、テーブルに運ぼうとしたら、何かにつまづいて、ぶつかって転んでしまった。ぶちまけられた料理は、もう元には戻らない。

誰得だっつーの。

世間では日野氏やドラムスの中学生に対して、様々なことが言われています。何はともあれ暴力に訴えた日野氏は悪い、とか、とにかくあの中学生が悪いとか、「セッション」という最悪な映画のせいでこういうことが起こったのだとか、色々言われています。

それについて私は何も言いたくないのですが、テレビのワイドショーで日野氏を叩いているコメンテーター、そしてあのドラムを叩いていた中学生に対しては、言いたいことがある。

お前らちゃんと日野皓正聴いたことないだろ。

日野皓正氏の”Trans-Blue”という音源があります。これは、私がはじめて聴いたジャズ・アルバムのうちの1つです。それは気が付けばレコードという形式で我が家にありました。1985年に録音されたそのアルバムで、”Lush Life”や”My Funny Valentine”, “Nature Boy”や”But Beaufitul”というスタンダード曲を、そのアルバムではじめて聴きました。

(そして、これを書きながら驚いているのですが、グラディ・テイトのボーカルのバックでギターを弾いているのがなんとジム・ホールです。だとすれば、多分ジム・ホールは私が最初に耳にしたジャズ・ギタリストだったのかもしれません)

これはストリングス・オーケストラをバックにしたスタンダード曲集(1曲を除く)で、当時の私にはこの世のものとは思えない美しさと、そして、なんというか、恐ろしさを感じるアルバムでした(子供には理解できない種類の、何らかの感情が表現されているように感じたのを覚えています)。

その上で、私は思うのですが、日野皓正氏の録音音源とか、ライブ演奏に触れて、耳をかっぽじってそれをちゃんと聴いていたのなら、ステージであんな我儘できるわけないだろう、と。音楽は自分のエゴを通す場でないことはわかるだろう、と。音楽は、自分自身の価値や能力、欲求を表現する場ではない、と。

音楽は人を幸せにする。熱狂させる。火を付ける。この「火」というやつが、本当に厄介。「火」がないとグルーヴが生まれない。

でもその「火」をうまく扱えないと、人はそれに焼かれてしまう。焼かれて死ぬ。

焚き火を囲んで楽しく語らう時間は素晴らしい。しかしその火が飛び火して火事を起こしてしまうことがある。すると全部燃えてしまう。失われる。

暴走した中学生。往復ビンタを食らわせた日野皓正氏。どちらが悪いというよりも、どちらも音楽の火に焼かれてしまったのではないか。中学生もベテランもその火で焼いてしまう音楽というものは、本当に恐ろしい。

音楽の美しさは、そういう恐ろしさの上に成立しているのではないか。

音楽は、火とか、原子力みたいなレベルで、人間には制御が難しいものなのかもしれない。

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