セッションで「本当の実力」を出せないのはなぜか

セッションやライブなどの普段とは異なる環境下で自分の「本当の実力」が出せない、どうしたら家で弾くみたいに弾けるんだろう、という悩みは楽器を問わず誰もが一度は持ったことがあると思います。セッションの休憩中にガッカリ肩を落とし「家ではもっと弾けたのに…」と落ち込まなかった人はいないはず。

ではセッションで「本当の実力」を出せないとしたら、それは何故なのでしょうか。

1. いや、「本当の実力」は出ている

そもそも「本番で本当の実力が出せない」という認識がある種の錯覚、思い込みである可能性はないでしょうか。つまり、いつも実力は出せているのではないか。

自宅での個人練習には時間や共演相手や機材などの縛りがない、あるいは非常にゆるい縛りの中で、王様のように自由に、様々な表現を試せている。何時間も練習している。

しかし本番では様々な制限の下で、数分間の曲を数曲演奏するのみ。普段2時間くらい練習している人なら、本番で5分の曲を4曲弾くとして、120分中20分、1/6の時間だけ弾くことになります。家では残りの100分でいいフレーズが出ている。いいフィールも出る。そういう記憶がある。しかし本番ではそれを出す時間がないので「実力が出せなかった」と感じてしまう。

さらに焦って自分の能力を引き出そうとすると、音楽の自然な流れを無視してあれもこれも詰め込んだ表現に陥り、自爆します。そして帰り道に涙を流しながら屋台のおでんを食べることになります。

でもそれが本当の実力ではないか。普段、自宅で出てくる表現のバリエーションやテクニック的な限界を100とすると、本番では調子が良い時で85、調子が悪ければ60くらいしか出てこないのではないでしょうか。自宅での100を本番でもそのまま出せた時、人は「本当の実力が出せた」と感じるかもしれませんが、そんなことはまずないので、誰もが「本当の実力が出せない…」と悩むことになるのではないか。

2. 「自分の本当の実力」よりも大事なのは「自分がどう変化するか」

本番で自分の実力以上の演奏が出ることはない、本番で出たものが即ちそれが実力、と書いたものの、一方で私達は「実力以上の演奏ができた」と感じるときもあります。このことを考える時、下の動画が参考になるような気がします。これ、面白いんです。動きに対称性がありません。

これはアームが1本であればここまで複雑な動きにはなりません。しかしもう1本のアーム、変数が1つ増えるだけで予測不能な運動が発生することがわかります。1+x。他人との共演で信じられないほどクリエティブな良い表現が出てきたり、反対に思わぬ失敗をしてしまうのはこういう事情によります。シナジー、ケミストリーとも言われます。

このもう1本のアームは、一緒に演奏する仲間だったり、お店の調子が悪いアンプだったり、お客さんの騒音だったり拍手だったり、様々。1本どころではなく多数のアームに接続されて私達は動くことになるわけで、だからこそ他人との演奏、セッションは面白いのでしょう。

こういう複雑な動きは、自宅ではなかなか発生しません。セッションで上手に弾けるようになるためにはセッションに参加するしかない、と言われるのはこういう理由だと思います。

考えてみればセッション等の本番演奏の目的を「家で弾くように弾く」と設定するのは、少しもったいないことでもあります。家での自分を出すことを目的とはせず、合奏の場で自分がどう変化するか、どういう表現が出てくるかを楽しみに行く、というふうに考え方を転換してみるのも良いのではないでしょうか。

こういうお話に興味がある方、家でどういう練習をするといいんだろう、という悩んでいる方、Jazz Guitar Forumにこういうスレッドが立っているのでお気軽に遊びにいらして下さい。





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