ジム・ホール、あるいは性格の濃縮

これまでジム・ホールというギタリストは、人生のある特定の時期に何か爆発的な進化を遂げた人ではないかと思っていたのだが、実はそんなことはないのかもしれない。

ジム・ホール、あるいは性格の濃縮

若い頃にデビューリーダー作の”Jazz Guitar”(1957)を聴いていて、この人がやがて”Careful”のようなモダンな曲を書くことになるとはとても想像できなかった。しかし注意深く聴いてみると、後のジム・ホールに繋がる鋭角的・脱臼的な表現の萌芽が既に随所に現れているのがわかる。

下は1964年のジョニー・ハートマンのアルバム1曲目での演奏。一聴すると普通のバラードの中で、いろいろとヘンなことをやっている(ちなみに前年にはビル・エヴァンスと「アンダーカレント」を録音済み)。デビューアルバムから7年間でだいぶ「ジム色」が濃くなってきた。

そう、人は進化するのではなく、単に「濃くなる」のではないか、と思ったのだった。ジム・ホールは最初からジム・ホールだった。齢を取るにつれて元々の性格、好み、嗜好・志向が濃縮されていって、最終的には誰にも似ていない不思議なギタリストになった。そういうことではないか。

齢を取るにつれて自分の中のどんな性格が濃くなっていくのか。また、それはコントロールできるものなのか。これまでの人生で色々な人に接してきて、「性格の濃縮」に気付かされることが多くなってきた。もともと優しい人はどんどんその優しさが際立ち、穏やかになっていく。反対に、意地悪で批判的だった人が病的なほどの攻撃性を示す様にも遭遇し、戸惑わされる。そんなことが多くなった。

多くの場合、自分のどの部分が「濃く」なってきているのか、気付かない。他人に指摘されてはじめて気付く。

ただ音楽的な表現に関して言えば、自分のもともとの性格のどの部分が濃縮されていったとしても、それがダメだったり、他人に迷惑をかけたりすることは、多分ない。それが音楽の良いところだと思う。音楽表現において、悪い個性などというものは存在しないはずである。基本的には。

自分はもともとどんな性格で、どんな人間なのだろう。自分にはよくわからないが、社会生活を営む人間としては、良い齢の取り方をしたいものだ。





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