楽器を拾い、音を拾い、表現を拾う。ジョン・ケージ

ジョン・ケージの”Child of Tree”(1975)という作品は、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの”フィネガンズ・ウェイク”からタイトルを拾っていて、演奏者は事前に10個の楽器を自分で収集することを求められる。うち1つはメキシコに生息するポインシアーナという樹木のさやを使う必要があり、固い胴体を持つトゲのあるサボテンも使わなければならない。

それ以外の楽器は、拾った植物を使う。金属や、動物を素材としたもの、人為的にピッチを整えられたものは使用不可。楽器の音はマイクで拾い、増幅させる。

演奏時間は8分で、奏者はストップウォッチで時間を管理する。その8分の内訳と楽器の使用順は「易経」によって演奏前に決めておく。楽譜はジョン・ケージによるインストラクションのみ。という作品です。

ケージはこの作品によって何を意図したのか。私は現代音楽の専門家ではないので、素人想像ですが、やはり色々なものから自由になる、というのが最大のテーマではないか。まず、楽器から自由になる。ピッチのある楽器でないとダメだ。ギターでないと、しかもGibson L5というギターでないとダメだ、などという考えを捨てる。ラウンド弦だとフィンガーノイズが出る、などという価値観も捨てる。

表現にしても、自分の内側にあるメロディを表出したいとか、ビブラートをかけて良い音を出したい、といった欲求も捨てる。拾ったその植物がどんな音を出すか、出しうるか。その植物の音を、外界から引き出すことが表現上の大きいウェイトを占める。熟練のパーカッショニストである必要はない。

形式と、時間の流れも恣意的には決められない。易経という「偶然性生成ツール」で管理する。易経の実行時は、「これから決めるんだ」という自由意志が介在するとしても、結果をコントロールすることはできない。そういう「管理された」偶然の中で、植物から音を引き出す。

音程のある楽器ではないし、奏法が確立されているわけでもなく、特定の共同体によって「良い音」とされるものを出すことはできないだろうし、そうする必要もない。その植物=楽器の特質を引き出していく。自分が主役なのではなく、拾ったその植物が主役。

ジョン・ケージが師事したアルノルト・シェーンベルクは、12音技法という無調音楽の手法を体系化した。そこでは、最初の12音音列の作成こそ大きい意志と人為が介在するけれども、そこから自然的に派生する48の音列は、組み合わせ方の自由はあっても、音列自体はいじってはいけないことになっている。無調なのに全体的な統制感が感じれられるのはそこに理由がある。

ケージとシェーンベルグの関係が、私の中ではどうもうまく結びついていなかったのですが、この”Child of Tree”を久しぶりに鑑賞してみたら、なるほど、何か自由を目指したところ、自我を「中心」や「権力」や「エゴ」といった束縛から解放して、新しい自由を得ようとしているところは、師匠も弟子もそっくりだ、と思いました。

そして実現されるこの作品の音響。ビートのある音楽ではないけれど、私はグルーヴを感じます。グルーヴという言葉は適当ではないのかもしれないのはわかっているのですが、他の言葉が思いつきません。心が動かされ、身体もそわそわする、心地良い時間です。

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