美の統一基準には抗っていたい

最近、テレビで泡石鹸のCMに出ているとある女優さんのファンです。たぶん初恋だった人に似ているからかもしれませんが、女優さんの中では少数派と思われる彼女の一重まぶたに特に魅力を感じていました。しかしCMで目にする彼女、いつからか微妙に二重まぶたになったような気がします。

もちろん彼女は二重まぶたになっても可愛い。ある意味、より一般的な可愛らしさの基準、なんとなく世の中で合意が取れている「美の統一基準」に近づいたようにも見えます。

でもそんな彼女を見ていて、なんとなく寂しい気持ちにもなります。この記事はその寂しさの正体がテーマです。

二重まぶたの魅力は理解できるし、それを手に入れたい人の気持もわかるし、美容整形に反対という気持ちもないのですが、ちょっと厚ぼったい感じの一重まぶたの頃のその女優さんが懐かしい。彼女は既に十分美しく、しかも独特な美しさ、コミカルな可愛らしさがありました。

何年か前に韓国のソウルに旅行で訪れたのですが、明洞という繁華街を歩いていて驚いたのはやはり美容整形をしている女性が多かったことです。日帰り手術を終えたばかりらしい、顔にグルグルと包帯を巻いた若い女性がドリンクを片手に友達と普通に歩いている姿は衝撃的でした。

多くの女性が同じような顔立ちをしていました。ぼんやりとした「美のイデア」がコミュニティ内で共有されていて、みんなそこに自分を寄せる努力をしているように見えました。

ジャズと呼ばれる音楽も「共同体」や「ゆるやかな合意」と深い関係があるように思います。みんながなんとなく良いと思う音色やフレージング、リズミック・フィギュア、アーティキュレーションが存在していて、それはジャズの大きい魅力を形成していると思うのですが、一方でそのぼんやりした「基準」の周囲に権力と保守思考が集まってしまい、窮屈でつまらなく感じることもあります。

みんなに受け入れられる音色を追求したり、「ジャズらしい」定形表現を学ぶ努力をする。これはこれで大事なことではあっても、表現がそこで終わってしまったら「伝統芸能の継承」で終わってしまう(継承自体にも価値があるのでこれは自体は決して蔑むべきではないとは思いますが…)。

ビバップのフレーズを習得したり、二重まぶたを手に入れること自体は全然悪くないでしょう。ただそれは出発点または経由地であって、終点ではないはず。

ジャズの場合、ある程度「みんな」に受けいれられる表現を身に付けるだけでも膨大な時間がかかってしまう。日帰り手術をして、数日後には完成、というわけにはいかない。最低でも3年という人もいれば、10年という人もいる。

でも何年も苦労して、最終的にみんなと同じ顔になってしまったら、つまらないなぁ、と思ったのでした。でも、外科手術をするわけではないから、きっと完全に同じにはならないのかもしれません。だから、杞憂かな。





美の統一基準には抗っていたい
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