人生にはフェアプレーが通用しない局面がある

カザフスタンのスケート選手が暴漢に襲われて亡くなった、というニュースを読み、何とも言えない気持ちになりました。なぜ彼なんだ。神も仏もないじゃないか。25年の得高い人生、20年にわたる修練と努力が、クルマのサイドミラーという量産可能な工業製品がきっかけで失われてしまった。この報せを聞いたとき、ある格闘技系の動画を思い出しました。

ブルース・リーの截拳道(ジークンドー)実践者を自称する方による「ストリートファイトにおける3つの過ち」という動画です。1:24から「戦いがフェアなものになるという考えは過ちである」という説明があり、小銭を無心する浮浪者を装った攻撃者に油断した瞬間、ナイフで襲われる、というシチュエーションです。

能力の高いアタッカーは、見るからに攻撃的・挑発的な素振りは見せない。道を聞くふりをして相手を油断させ、その瞬間に仕留めに来る。あなたは、相手が武器を持っていないとなぜ言えるのか。相手が複数でないとなぜわかるのか。ナイフが登場した瞬間、道場やスクールとはゲームのルールが完全に変わる。20年の鍛錬も、20ドルのナイフによって終了してしまうことがある。

スケートはリンクの中でルールに則って行われ、音楽も一応はルールに乗っ取り、特定の文脈において行われ、発生するものです。リンクを滑走中に、客席から椅子が投げ入れられることはないことになっているし、ジャムセッション中に共演者に拳で殴られることもない、ことになっている。フリージャズ、現代音楽や実験音楽の一部では、あえて「文脈外」の出来事を発生させる試みはある。

しかし演奏中のピアノに火が放たれようとも、オーケストラのステージに大量のピンポン玉が撒かれようとも、人が死ぬことはありません。スケートも音楽も、基本的には守られている。

想定外の豪雨、猛暑、襲撃。日頃から特定の文脈の中で生きていると、そういう「想定外」にうまく対応できなくなってしまう。上手に対応しようとしてもうまく行く保証はないとしても、想定外の自体は常に起こりうること、フェアでないことも起こりうること、それによって以後の人生は全く違うものになりうることを日頃から意識する。少しでも自分の運命を管理したいのなら、それ以外に術はないのかもしれません。

お悔やみの言葉を書くと、何か大事なことを忘れてしまうような気がするので、胸の内だけにとどめることにします。





人生にはフェアプレーが通用しない局面がある
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