山根明の魅力

ここ数日、日本ボクシング連盟の終身会長・山根明氏が話題である。勿論、奈良県の選手を優遇したり、オリンピックの大事な試合に政治的な権力を持ち込むといった行為について、正義を愛する男であるこのジャズギ・タブログは憤っているのだが、それと同時に、この山根明という男の言葉に、得体の知れない不思議な魅力を感じてしまっているのもまた、事実なのである。だから、唾棄する前に向き合っておきたいのだ。

山根明の魅力

ジャズという音楽の文脈で言えば、それは「フレージング」に関係することである。各種インタビューに答える山根氏の言葉を、頭の中で音楽語法的なものに置き換えてみると、この人はかなり独特な個人言語(idiosyncracy)を獲得した人ではないか、と思わされる。彼は、良くも悪くも、自分の言葉で話している人間なのだ。

いちばんわかりやすい例は、私は、歴史に生まれた、歴史の男でございます。という表現である。歴史に生まれた、歴史の男。これを聞いた瞬間、たぶん9割以上の人が、お前何言ってんだww と思ったに違いない。意味わかんねーよ、と。私も、そう思った。だがしかし、山根氏がこの音列…いや、単語を並べる時のフロウ、ドライブ、抑揚は見事なもので、聴くものの心にスッとこのフレーズを届けてきたのである。

私は、歴史に生まれた、歴史の男でございます。

いや、もう何言っているか全然わかんない。でも、それでもいいのである。何の音を弾くかなんて、究極的にはどうでもいいことなんだ、とパット・メセニーは言っていた。大切なのは、正確かつ必然的なポケットに音を落としこむリズムとフロウ、そして「意味の垂直な解釈」を置き去りにするような、ホリゾンタルなドライヴ、駆動力なのである。

山根氏の「歴史に生まれた、歴史の男でございます。」には、それがあった。一体何が言いたいのか。本当のところは、誰もわからない。マイクを向けた人も、カメラで撮っていた人も、恵俊彰も宮根誠司も、彼が何を言いたいのか理解できない。国民も理解できない。私達一般の人間には多分理解できない。というか、山根氏自身もまた、自分のフレーズを理解していない可能性さえ否定できない。

だが、それでもいいのである。「歴史に生まれた、歴史の男でございます。」は、音楽学校の試験では、恐らく100点満点中20点くらいしかもらえないフレーズだろう。なめらかなボイス・リーディングという観念がない。何かうまくつながっていない。音程で言えば、完全5度を3回連続させてみたような、コードで言えばCMaj9(13)omit3,7のような、開かれたオープンなサウンドである。

マイナーなのかメジャーなのかすらわからない。b7なのかM7なのかもわからない。私達は、安心できない。怖い。それでいながら、山根氏は自信たっぷりに、揺るぎなく、何の疑問もなく、言い放つのである。

私は、歴史に生まれた、歴史の男でございます。

これはもう、セロニアス・モンクとか、ジョー・ディオリオとか、ジョン・ゾーンとか、最近で言うとメアリー・ハルヴァーソンのような音楽家の表現に近い。何か本人にしかわからないようなロジックがある(※ない場合もある)。躊躇せず、恥ずかしがらず、もうそれをはっきり言うのだという強力な意思とともに、言う。

歴史に生まれた、歴史の男でございます。

こういう表現は、やはり眩しい。勿論、こういう表現をする人間が集団の中で権力を握ってしまうと誰も逆らえなくなってしまい、この人を含む共同体は「超論理集団」に近づいていくのかもしれない。それはそれで大きい問題なのだが、山根明氏を音楽的な表現者の文脈で捉え直してみると、なんとも魅力的なプレイヤー像が浮き上がってくる。

ジャム・セッションに出かけていって、本当にギターがうまい人、本当に洗練された音楽表現をする人は、1年に1度くらい目撃することがある。しかし、こういう「歴史に生まれた、歴史の男」タイプの表現者に遭遇するのは、決して多くはない。多くて3年、いや5年に1度程度。たまに「こいつは…!」と思うことがあっても、ただのハッタリ野郎であることもある。

山根氏は、本物なのか。それともニセモノなのか。それはこれから判断が下されるものと思われるが、私の中で、この人のフレージングは今のところ、モノホンのコーナーに仕分けされている。





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